読みもの

エッセイ
モーニング
待合椅子から
ふるほんやさん
余呉湖
あらゆる春
ポーチにて
最大風速
静かなアフリカの岬

モーニング

 たっぷりバターのしみたトースト、コーヒーからたつ湯気を嗅いで、ブラウンの焼き色のついた繊維を二つにちぎる。いつものモーニングセット。注文がとどいたら、返しそびれたメールも、みごとな達筆に気後れして本棚に挟んだままのあの葉書も、全部忘れてしまう。つまみあげた薄いきゅうりをさくり。それから分厚いパンをそっと頬張る。
 でもモーニングって、なんてすっきりした名前なのだろう。これを外国の人に説明したら、きっと奇妙におもうはずだ。無数の舌先を転がっていくうちに、モーニングサービスという言葉の角が取れて、かけらの「朝」が残った。生活のなかで口にされ、省略されて定着した言葉は、短命に終わることがおおいけど、この呼び名はよく磨かれた食器みたいに、古くてもピカピカしてる。
 太い耳まで食べ終わる頃には静けさがやってくる。東京からひっこしたての頃、京都の食パンの分厚さに驚いた。スーパーでそれまで買っていた8枚切りが、あれ、売っていない。そうだったなと思い出す。そして再び忘れ、じっと光のとどかない隅を見つめる。氷のとけたコップのようにじんわり濡れたこころで、ぼくは詩を待っている。
 二十五年くらいまえ、関西ではじめてモーニングを食べた。コンビニがまだ珍しかった頃だったとおもう。祖母のお葬式がすんだ朝、親族だけでちかくの喫茶店に入った。前の晩、はじめて父の憔悴した姿を見た。その父が、テーブルに並んだ色彩に、あかるい声をあげた。地元、兵庫に帰ってきて、喫茶店のメニューが充実しているのが嬉しいし、ぼくら姉弟へちょっと自慢なのだ。何年も思い出すことはなくとも、あの朝の時間は記憶の隅で一粒光っている。いま、モーニングが世界にあるということが、ぼくも自慢だ。
 日常のささいな瞬間は、パン屑のように、すぐ片付けられてしまう。けれどモーニングという言葉を丁寧に見つめてみると、この古い喫茶店の木製テーブルみたいに、なんども拭われ、光沢がでていることに気づく。世界中どこでも小さな朝の堆積がある。灰色の山のふもとの村では、湯気のむこうで饅頭をふかしているかもしれないし、親子が屋台でフォーをすすっているかもしれない。おはよう、そのおいしそうな朝食、きみの町ではなんて言うの?ぼくの町ではモーニング。


「京都新聞」2018年6月4日 『ベスト・エッセイ2019』光村図書出版 収録


待合椅子から

 いつ完成するともしれない長い詩を、このところ数年ぶりに書きだしている。
 おもてに出れば、新緑の東山だ。おはよう大の字。若草山にも一目挨拶したくなって、近鉄奈良線に乗る。混雑してなければ電車内だって書斎になるから。
 紅い電車は木津川をこえて南下する。手元の詩篇から目をはなし顔をあげると、車内はいつのまにか空席ばかり。川面を回転する木の葉のような機敏なうごきで、車両から車両へと車掌さんが遮光カーテンを引き開けていく。急行電車なのに、もう終点とのアナウンス。なじみのない駅のホームに放り出されてしまった。
 高架には小さなキャリーケースをひく男女と、にぎやかな中国からの家族連れ、そして自分だけだ。視界全面を覆う近鉄奈良線の車体の行き先表示が「宮津」から「回送」へとかわる。風のつよい、光のきれいな日だ。水色の剝げた丸い座面の椅子に腰を掛け、また詩の続きにとりかかる。膝にひろげた白い紙束を、吹きあがる風で飛ばされないようにペンを握る拳でおさえて、眩しい詩篇と一心に会話をはじめる。目の前の電車が、やがて音をたてて発車する。
 突如、眼下に田園がひろがる。電車という大カーテンがめくられて、緑一色の風景があらわれる。山々がとおく肩を揺すっている。稜線は、芽吹いた微細な若葉たちで空に滲んで見える。雲という雲がこちらに向かってくる。軽トラックが一台、畝の道を奥のほうへ小さくなっていく。はるか果て、稜線だとおもっていた黒い影は、稜線ではなく暗雲で、それが一重の幻を描き加えていた。見えるかぎりの風景のむこう、そこにも何かがある。
 この全部が青垣だよ。昨年の夏、大和路を歩いていると、はるばる生駒山地まで見渡す高台で、作業服のおじさんから教わった。山々という垣根のむこうに見えないものがある。古代、ひとびとはこう考えた。でも見えるかぎりはわたしたちの庭。いま、わたしも同じ想いだ。
 旧式の掲示板がハタハタ頭上で回転している。深く息をすいこみ、肺胞を青い稜線で充満させる。青垣という言葉は以前から知っていた。緑の突風がホームを通過するこのときになって、おじさんの声がこころに木霊する。そしてようやく青垣がわたしの言葉となる。考えることを止めてしばらく眺めていた。


「京都新聞」2019年6月3日 詩集『ざわめきのなかわらいころげよ』収録


ふるほんやさん

 どんな小さな町でも、古本屋さんがあれば降りてみる。裁断されたばかりでない、かびくさい旧い紙のにおい。はじめての古本屋さんでは、全体がわからない。どんな棚があるか、詩集はあるかな、どきどきする。欲しいものが一冊見つかり、とたんに幸せ、すぐに抱えたくなるけど、ここは一息、お客さんはあまりいないのだ。背表紙をめくり値段を確認する。丸っこい300、丁寧な780円、余白のおおい1,200ー。手書きだと、数字にも表情がやどる。お店それぞれのいいがたい感じがある。想像よりすこしだけ安いとほくほくする。ちょうどだとおもうと安心する。高ければ、ああきっといいお店なんだとおもう。
 詩は古本屋さんに教わった。二十代も後半のころ、迷い込んだ哲学や映像の棚のおく、それらは不揃いで、異彩をはなっていた。けれど、ものしずかでむこうからは絶対に話しかけてこようとしなかった。今晩は荒模様、表紙を飾る虎模様のセーター、白石かずこ、おずおず一冊手にとった。知らない著者、詩だった。
 買ったばかりの本を、近くの喫茶店でひろげるのが最上の時間。コーヒーをすすり、装幀は、扉は、奥付は、と持ち上げてみてじっくり眺める。ほんとうにいい本は、読み進めていく途中で胸がいっぱいになってしまう。もうその先へは進めない。次はまた冒頭からだ。何度でもふりだしにもどる。でもそれでいいのだ。生涯読み切ることがなくとも、胸いっぱいの瞬間こそかけがいないから。
 手垢にまみれすり減っていても、どの一冊も過去から途切れたところで存在している。たとえメモが挟まっていても、その一冊の記憶には、さわることはできない。いまそこを通りすぎたあなたや、わたしみたいだ。
 じぶんだけが覗きこむことができる記憶の井戸に映るのは、いつもひとつの古本屋さん。国道沿い、仙台にいたころ、家族でよくいった。光がはいり埃がみえる昼下がり。もう行くよ。父母の声が届いても、少年漫画の棚の前をいつまでも離れようとしなかった。
 どれくらい時間がたっただろう。まだわたしは薄茶けた本棚の前に立っていて、とうに滞在に限度があることを知っていて、それでも暖かく射し込む春の陽が、この地上のひと時をどこまでものどかにひきのばしている。

「京都新聞」2019年3月25日


余呉湖

 ここには来たことがある。何年前だろうか。あの日もうろこ雲が湖のあたまを飾り、稲穂はゆるやかに揺れていた。ペンを取り出したのは、なにか書けそうに思ったからだったか。ただ、出てくるのはため息ばかり、ノートには虫の声を挟んで帰った。
 宝物のように心に浮かぶ風景、それはいつも思いがけない。日々ぼくはバスや地下鉄に乗ってみて、それから行き先を考える。近江塩津行き新快速にも、とっさに飛び乗った。
 余呉湖の周囲の森には、いたるところから水が染み出していて、林のなかところどころ倒木が斜めに寄りかかり、湖面はまぶしく恒星を映している。他愛がなくともこのすべてを丹念に描写できたら、どれほどの奇跡を生きているかわかるよ。ね、無愛想な、水の惑星よ。いいさ、こたえは。かえって呼びかけたこちらの心に響きがのこるから。見事なコイ。きらめく生命が、たぐりよせようとする釣り人へ抵抗して、大きな飛沫をあげる。とつぜん、忘れかけていたメコン川の驚きが、小さな揺れとともに現在に飛び乗ってきた。立派な魚を両腕で抱え、はにかむ少年は、釣り上げたばかりの一匹をこちらのボートまで売りにきたのだ。おーい、ラオスの自慢げな瞳よ、二年前の旅で出会って以来だね。いまこっちは鏡湖だよ。
 黄金色にうもれた簡素な駅舎に、異国語の飛び交ういにしえの活気をおもう。最古の羽衣伝説の伝わるこの地には、渡来人が対馬海流にのってやってきた。するとここは今日の京都駅だな。むこうには緑の斜面。鉄塔から降りてくる電線も、空をあやとりするようで面白い。とはいえ、空は一切を感知しない。一瞬が百年だ。
 つぶやくようにそんなことばを置いたとき、ほとりに立つ自分は消えて、山のような大女が湖をかこんでいた。糸をつむぎながら井戸端会議でもしているのか、物語がうまれそうだった。ノートを微風にひろげて待っていた。湖面には絶え間なくそよぐ光のほかなにもなく、しだいに期待は凪いでいく。
 またも予感はいってしまった。でも十分だ。ずっと忘れていた人もふしぎな幻も、ここまで会いにきてくれたから。ほかのどこにも自分はいない。稲穂をけとばすバッタのように、かたちにならないイメージが、交差する光景のなかで好き勝手跳ねていた。

「京都新聞」2018年9月17日


あらゆる春

 桜の花びらが散らかる雪を、ざくざく踏みつける。子どもはそしらぬかおだ。四月もそしらぬかおだ。寒波は踵をかえして、満開の桜のうえに雪を積もらせた。
 ぼくはあいかわらず引っ越しの途上。実家へうつって仮住まいをしている。ここ、丘を切り崩した東京郊外の住宅街では、京都の街中のような色濃い歴史が感じ取れない。高校生のころそれがぼくには不満だった。ところが何年か前、韓国のソウル郊外にて詩人の交流会に参加したとき、あたりの景色をよく見知っているような気がした。二つの無個性のベッドタウンに、遠く隔たっていながらも共有する暮らしの感覚を見つけた。
 風に奇声をあげながら子どもと歩道橋をわたる。手を伸ばして、自分の影から二本の枝を揺らす。それにしても、お天気とはほんとうにありがたいものだ。雨の日に二人でいった屋内施設では入り口で検温をした。でも毎日そこへは遊びにいけない。庭のチューリップのつぼみの前でしゃがみこむ。白い球根が、土から半ば剥き出しになって育っている。つぼみから、花がひらくんだよ。当然なんだけどね、やれやれ、と思いつつぼくは説明する。けれど子どもがすばらしく目を見張るから、なんだかすごいことのような気がしてくる。あたりまえのことだって驚異的だ。
 ぼくはこの1ヶ月なにを知っただろう。ブロック塀とアスファルトの隙間に覗いたつくしのやわらかさ。温められた部屋の屋根を滑って落下した雪のどよめき。雪の重みで倒れたその数日後には、ふたたび垂直に空をさし起立するチューリップ。はじめて自分なりに構文をつくりだそうとするときのわずかな気張り。話しだした話があらぬ方向へ転がりながら、それでも言い切るたのしさ。ひとは言葉がまとわりついて生きていること。
 水の湧く公園で、流れをたどった先の小さな貯水場に、おびただしい数のおたまじゃくしが泳いでいた。砂まみれの手を水にひたす。足がはえ手がはえて、しっぽがなくなってね、で、カエルになるんだよ。ぼくはまた説明する。そして考えこむ。きっと鳥や他の敵に呑み込まれ、このすべてがカエルになることはないだろう。
 淀みには何十匹も黒々と、まるで無数の目玉が行き交うようだ。みなが死を背負って。巨大な春がわたしたちを見ていた。

「京都新聞」2020年4月27日


ポーチにて

 家族で掻き集めた落ち葉は桁外れだった。
 小学生のころ、一年間、アメリカ東海岸に住んでいたことがある。秋が来ると田舎の大学町イサカのなだらかな丘は赤々と染まる。そこで家族は一軒家の二階を間借りしていた。煉瓦造りの住まい真正面には白い二本の柱に支えられた素朴な玄関ポーチがあった。
 下には中国人のユウヤンさん一家が住んでいた。古い家で床も分厚く、ユウヤンさん一家は一人っ子で静かだったから、上の階に住んでいて、ほとんど存在を感じることはなかった。ただこちらはうるさかっただろう。あんなに毎日、ぼくと姉が喧嘩していたから。
 両家族にとって、入り口は裏の勝手口だった。一度だって正面玄関がきちんと玄関になるのを見たことがない。といっても、そのことに違和感はなかった。日本にいたころ、玄関から祖父母の家を尋ねたことなどなかったからだ。いまだって台所の匂いにあふれる勝手口のにぎやかさが好きだ。
 二階の踊り場からは、玄関を見下ろすことができた。そこから続く階段は両家の緩衝地帯で、いつも暗くて秘密めいた雰囲気があった。ゴムボールが跳ね落ちていったときは困った。忍び足で降りて逃げるように戻った。その階段は、言葉のちがう一家に通ずるというより、どこへもいけない袋小路だった。
 ハロウィンが近づくと、州道に沿って大安売りのかぼちゃが積まれた。キッチンで、鮮やかなオレンジ色の種をスプーンでくりぬいた。器用な姉は、目を細めて笑う表情豊かなランタンを彫った。並んで、ただ怒った顔になってしまったぼくのかぼちゃがあった。
 もうアメリカ暮らしに慣れたころだったのだろう。家には自分のほかだれもいない。下の階に耳をすますと、ユウヤンさん一家も外出中なのか、物音はしない。正面玄関の開かずの扉を開けたいと思った。息をころし暗がりを一足一足降りた。そして重たい左右の扉をひいた。光があふれ秋の大気に頬がふれた。裸の枝の隙間に、白く透けた月が見えた。昼間の月は、まばゆい夜の月に比べ、凹凸が目立ち手触りまでわかるようだった。半分より少し膨らんだほうが消えかかり、青空には、ありありとかすれた球面があった。
 月って、たしかにまあるい天体だ。はじめて意識した。すると玄関ポーチにいて、ぼくは地球のとある一点に立っていた。

「京都新聞」2019年10月21日


最大風速

 上空で枝という枝が落ち着きなくなにかをまさぐっている。明け方からもうずっと探し物が見つからないかのようだ。
 しなる幹のもとで、ひとは風におされみな小走りになる。背を丸め、やや後方に重心をおいてすべるようにすすむ。突然立ち止まる。歩いていられない。風はいま最大なのだ。よろめき、数歩、運ばれる。あ、むこうの看板が倒れた。自転車が倒れた。
 一方、風に逆流するひとはみな前傾姿勢だ。こころもち大股で、一歩また一歩なんとか身体を前へ運びながら。強風のたび、頭をかがめ額をおさえる。風に立ち向かう格好は世界のどこであっても同じ。大荒れの日、とある駅の出勤時刻、固有名はだれからも吹き飛ばされていく。
 突如、風を引き連れてマスク姿の若い女性が店内へ転がりこんできた。抱きかかえていたドアからはなれ、消毒液を手に吹きかけて一息つく。店内にはベランダに残した洗濯物を心配する声がちらほら。プラスチックの蓋にふれる熱いコーヒー。それにぼくは口をつけて、またガラス越しに目をやる。
 ひととき風が弱まった。警備員がカラコーンを素早く重ねて撤去していく。雀が低くとびまわり逃げ場を探している。雨がガラスを引っ掻きはじめる。瞬間、視野のすみで傘がいびつに破裂する。風船ガムのたやすさ。自転車を押すひとは立ち往生したままだ。すぐそこの幹が折れて、もうほとんどガラス張りの店内まで突き破ってきそう。
 隙間風の音。さらに、唸るような音が、もう一つふかい隙間、世界の隙間のような箇所から聞こえてくる。空間の底の底、こんな言葉がうかび、普段は気にとめないこの世の深度があらわになる。どこにも焦点をあわせずに、じっと正面をみつめ続けていると、人間としての恐怖が消えた。倒木寸前のしなりに、ワー、キャー、そんな樹木たち。でも、あの仕草は悲鳴ではなく、歓喜かもしれない。
 手押し車から、すばらしい速さで、郵便物がふきあがる。郵便ケースが、ガララン、地を走る。帽子をにぎりしめて追いかける男。男がようやく茶封筒を両脇にかかえて戻ってくる。あ、一通、まだ地面に忘れてる。
 おーい。重たいドアを身体で押しあける。いきなり首筋にはりつく襟。嵐の途上におどりでた。

「京都新聞」2020年8月10日


静かなアフリカの岬

 水平線に、まもなくあの赤い陽は燃え落ちて、この高台も静かになる。素晴らしい土地だろう。親しげに話しかけてきた老人も、しばらく黙って海の闇に滲んでいくオレンジを見つめていた。
 陽が暮れて、モロッコはやっと活動できる涼しさになった。食堂に灯りがついて、広場は夜の賑わいが増していく。アフリカ大陸の北端の街タンジェ、遠くではずむ音がする。旧港のひろい駐車場では、子供達のサッカーがはじまっていた。そっか、わたしたちは幼い頃、白いボールが夕闇に紛れてしまうと家路についていたけど、陽射しの強いこの土地では逆なんだ。街灯に照らされたボールが高く上がるたびに、丸い影も吊られてはしゃぐ。言葉だってはしゃぐことがあるかもしれないな、とびはねながら移動すれば。こんな奇妙な考えがふとよぎるのは、旅に出て、言葉も旅に出るのを待っているからだ。
 言葉が旅に出る。たとえば日本で口にする「ミントティー」のイメージは爽やかでオシャレ。だがモロッコの「ミントティー」はもっと日常のけだるい湯気のなかに鎮座している。スーッとして、だけど奥底は砂糖が濃くて。銀のポットを高いところから注ぐあの動作、あれは何万回と繰り返されたか。そして、なによりモロッコの「ミントティー」という発音には、払っても払っても蠅が二、三匹まとわりつくのだ。バスターミナルの安カフェに座ると、毛穴という毛穴が外の熱気をスポンジのように吸い込んでいく。バックパックを壁に立てかけ、そうしてじっと待っている。わたしが書く一つ一つの詩の言葉から、その土地の光と空気が匂いたつように。
 タンジェのブルーの空と海、この港町にアレン・ギンズバーグも、ポール・ボウルズも、大竹伸朗も吸い寄せられた。空の色の薄い島国からきた人間だからだろうか、ひろがる青が、とほうもない。せせこましい人間は芥子粒のように小さくなって、ようやく旧市街の古い煉瓦の褪せた赤に支えられている。鼻をさす魚と尿の酸っぱい臭いがなければ、人間の仕立てた世間なんか消し飛んでしまいそうだ。ああもしかするとこのブルーは中毒性があるかもしれないな。彼方の青はつねにあたらしい。いつからこの青さがあったのか、それは気が遠くなるほど昔であるはずなのに、いつも新品のブルーなのは、空と海は時間を感じることがないから。
 ジブラルタル海峡のむこうはヨーロッパ。宿にいたスペイン人は、伝わらない言葉で、もうモロッコはうんざりだと嘆いていた。船で一時間に満たない距離だけど、たしかにヨーロッパからはじめてこの地に足を踏みいれたなら、猥雑なゴミの散らばる街並みを嫌悪したかもしれない。モロッコにきてすでに一週間以上経っていたわたしには、かえって、スペインで自動車が道を譲ってくれたとき驚いた。モロッコでは、自動車も歩行者も立ち止まらない。行ける時は行く。そういえば、スペインでは下痢もピタッとおさまった。
 ただ、わたしは、ここタンジェが好きだ。歩いているだけで声をかけてくる陽気なおっさん。アジア人を見つけたとたん、空手の身振りでブルース・リーになる若者。同意もなくわたしのペットボトルを摑んで口をつけ、ニタッと笑う歯抜けの男。こいつはムカついたが、よい店を知ってるからという誘いをはっきり断れば、ボロボロの路地裏でさえたいして面倒はおこらない。カサブランカでは純粋に、親切心だけで街を案内してくれた人もいた。
 土地を失くし、誰かの育てた土地を歩く。異邦人として生きると、よけいに身にしみる。大地は誰のものなのだろうか。いやそもそも、この広大な地球を自分たちのものとだと人間が言い張ることができるのだろうかとも。めぐる思考にこれ以上追いつかれぬように、傾きだした陽を追ってメディナの路地と階段をのぼったさきで、とつぜん空と海のふかい安堵があった。
 暮れていく時間に身をあずけ、ふきあげる風にあたっていると、土産物屋の老人が話しかけてくる。右手は地中海、左手は大西洋、むこうはスペイン、素晴らしいところだろ、よくきてくれた、いつでもウェルカムだ。店番もそっちのけで自慢げに男はこう繰り返す。ただ彼は海をはさんだすぐそこの半島に、長い人生のなかで一度でも渡ったことがあるのだろうか。パスポートを持つわたしは、明日、面白半分にむこう岸へ渡るフェリーに乗ろうとしているが、この年老いた男にとってその距離は、人生ではたどり着かない距離なのかもしれない。ふとこんな考えがよぎるとき、ちょうど赤い太陽が、水平線にオレンジ色の熱いため息をもらす。土地とは誰のものでもないかもしれない。だが誰かのものであるとするなら、この遠景は、いまこれを見つめる自分のものではない。ギンズバーグやポール・ボウルズみたいな有名人のものでもない。一人の一生のあいだ昼と夜を結ぶ、この場所のこの夕陽は彼のもの。そう言いたくてここに小さく呟く。こころから。静かなアフリカの岬の夕暮れ。


「ほんほん蒸気」第2号 北と南とヒロイヨミ